top of page

人生の選択肢

  • 執筆者の写真: フミコ
    フミコ
  • 2022年5月11日
  • 読了時間: 2分

最近、芸能人の自殺のニュースが続いている。芸能人だからニュースになっているが、コロナ禍の影響で未成年の自殺も増えている。


これは、富山ダルクでのセミナーでも話したことなのだが、「生きたい」という願望や選択肢があるなら、そこには必然的に「死にたい」という願望や選択肢が生まれる。「生きたい」から生きているなら、そこには「死にたい」から死ぬのもまた然りなのだ。


と、ここまではただの理論であって、私個人の考えとしては、「人間、ほっといたっていつかは死ぬのに、もったいない」である。


私は死にかけた経験こそあれど、死んだことはない。だから死んだら良いことがあるのかはわからない。噂によると体という物理的なものから開放されて、自由に飛び回れるというから、それはそれで楽しいこともあるかもしれない。

しかし、体があって初めて体験できることは、もう二度と経験できない。それがもったいないと思うのだ。

死のうと思えばいつでも死ねる。でも死んだら二度と「もう一度生きたい」という選択はできないのだ。


私を含め「相談すればいいのに」と考える人は多いが、恐らく本人は「それができれば苦労しない」または、そんな意識もないまま、気が付いたら死んでいるのだろう。


以前、ネットのコラムで読んだことがある。

電車のホームに立っている時に、「この足をあと一歩出せば、明日は会社に行かなくて済むかも」そう思って足を出して死んでしまうのだと言う。

足を出そうとしている時、死にたいとは思っておらず、「明日は会社に行かなくて済む」としか思っていないのだ。軽くケガでもすれば休めるという感覚で死んでしまったら、成仏もできまい。




どんな言葉も伝え方や受け取り方次第で意味が違ってしまう。


カウンセラーとして、できることを探さねばなるまい。

最新記事

すべて表示
退職理由の実態~退職代行サービスの記事~

恐ろしい記事を見てしまいました。退職の実態がこんなにひどいとは。 私のところに来る相談は、お客様や上司、同僚からひどい目にあっても仕事を続けるにはその出来事をどう受け止めればよいかといった前向きなものもあるのですが、こんなにひどいなら即「労基に相談に行きましょう」「転職しま...

 
 
 

Comments


bottom of page