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執筆者の写真フミコ

研修風景~その18~


今月2回目の、富山ダルクでの第3回アサーション研修です。


前回と同様、価値観についてとことん向き合うというのが今回のテーマです。


みなさん、やはり学校教育やテレビという、教育という名の洗脳にあっているので、「これでやってきた」という年月が長ければ長いほど、洗脳をとくのも時間がかかります。


でもアサーションは、「自分の意見は変えてもいい」「自分の考え方は変えてもいい」「それが自分らしくあること」と言っています。


私も初めてアサーションを勉強した時に、違和感がありました。

それは「アサーション」を直訳した言葉が日本語には定義づけられていないということです。

「こういう意味だよ」と解説はできますが、「Desk=机」というような直訳した言葉が存在しないのです。「主張」「断言」などと訳されることもありますが、腑に落ちないのです。


空気を読むことを重んじる、輪を乱さないように教育され、それが日本人はできていると思っていたので、非常に違和感がありました。

自分が今までしてきた日本のコミュニケーションは何だったんだ?と。


ちょっと考えればすぐわかることではあります。

日本はアメリカなどと違って、多種多様な民族、人種、文化、習慣などが入り混じった国ではありません。同一民族、同一人種、言葉も種類も、方言こそあれど、たいがいは通じます。

自分と人は違って当たり前、という環境で育っていないので、小さなコミュニティの中で、人と違う意見を言ったり、人と違う行動をとると、目立つし浮いてしまうのです。

下手をしたらそのことが原因で仲間外れになることさえあるのです。


しばしば直訳として紹介される「主張」や「断言」は、日本の文化とはかけ離れていると思いませんか?日本で主張や断言をすると、嫌われることの方が多くありませんか?

空気を読むこと、輪を乱さないことは、自分を大切にしていることになるのでしょうか。


アドラー心理学の「嫌われる勇気」ではありませんが、自分らしくあるために、日本の教育を、今度こそ見直す時代がやってきたのかもしれませんね。

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